就活時代志望度が高かった航空業界と鉄道業界。
企業研究していた時、東急電鉄が航空会社を持っていたということに当時驚いたのを思い出し、東急電鉄の航空会社経営についてまとめてみました。
資金力のある大手私鉄は日本中、世界中にネットワークを広げていた航空会社は協力関係にあることが多く、中には大手私鉄自ら航空会社の経営に乗り出すこともありました。
航空会社を経営していた鉄道会社…東急電鉄

画像引用:経営統合中のJAL・JASハイブリッド塗装(A300-600R型機)
昔の日本には3つの航空会社があった?
日本航空(JAL)と全日空(ANA)は当然出てくると思いますが、もう一つの日本エアシステムという航空会社を知っている若者はあまりいないのではないでしょうか??
この日本エアシステムは日本航空との2004年の経営統合で消滅するまで日本のローカル路線を中心に、中国や韓国へ国際線も運航していました。通称はJAS。
そしてこのJASを経営していたのが大手私鉄の東急電鉄。これほどまでに、どっぷり航空業界に手を出していた大手私鉄はないのではないかと思います。
JASについて

画像引用:絶対!乗り物中心主義
もともとJASは東亜国内航空でした。
この東亜航空は1971年に日本国内航空と東亜航空が合併して誕生した航空会社であり、その当時から東急グループが大株主として、ローカル路線を主体にJALとANAに戦いを挑み続けてきました。
とはいえ、誕生したばかりの東亜国内航空は毎年赤字続きの東急グループ内のお荷物で、JAL、ANAには遠く及ばない弱小航空会社でした。
機体もYS-11中心のプロペラ機しかなく、路線も国内ローカル線だけ。
そのような状況の中、東急から送り込まれたのが当時副社長であった田中勇。
この田中勇がトップになることで東亜国内航空は日本トップ3に相応しい航空会社に生まれ変わっていきます。
- 徹底した経費節減
- 不採算路線の整理
- 羽田発着の高需要地方路線へ参入
- プロペラ機が主体であった機種をジェット機に変更
- 国内幹線参入
- ワイドボディ機のA300導入
- 日本エアシステムへの社名変更に加え国際線参入
JASの誤算と消滅

画像引用:仙台空港
日本エアシステムへの社名変更までは順風満帆であったものの、国際線参入が後々首を絞めることになってきます。
元々財務体質は強く無かったにもかかわらず、国際線参入時に相当無理をして投資を実施してしまった。
上記の影響で、バブル崩壊してからのJASは再びお荷物化していきます。頼みの綱の東急グループ自体の業績までも悪化してきたため、グループの発展に貢献できない企業はどんどん切り捨てられていきました。
当時の会長であった五島昇が1989年に亡くなった後は、バブルが弾けたことも相まって東急グループの航空事業への関心も薄れていきました。
このような状況であったため、最終的にはJALとの統合で日本の3大航空会社の一角をになっていたJASは姿を消すことになりました。ただ、その後も東急電鉄はJAL破たんまでの間大株主であり続けました。
東急電鉄は完全に航空会社の経営からは完全に手を引きました。
しかし、2016年の仙台空港の民営化に際し運営会社に名乗りを上げ、グループの株も含めると過半数の54%(東急本体で42%)を保有し、経営の主導権を握っています。
以前のような航空会社経営ではありませんが空港経営として、東急グループは今なお航空業界と繋がり続けています。


